毎年6月や7月に神社の祭事として『夏越の大祓』があります。茅の輪をくぐったりするアレです💡
有名な夏越の祭りとしては、日本三大祭りの京都・祇園祭での7月31日の祭りの締めくくりに蘇民将来を祀る【疫神社】にて『夏越祭』があります。
その起源は9世紀頃といわれますが、その祇園祭のさらに先にあるルーツはユダヤ(古代イスラエル)から来ているのではないか?と歴史系都市伝説などでよく言われているのです。
日本の伝統風習に、なぜユダヤ文化が入り混じる??
なぜユダヤがルーツと言われているのか、蘇民将来とはどこからやってきた信仰なのか?
日ユ同祖論につながってきそうな面白い話しをご紹介します。
祇園祭がユダヤを連想させる?
よく言われているのが、祇園祭(ぎおんまつり)自体がユダヤを連想させるというものです。
祭りの中心は、山鉾(やまほこ)と呼ばれる巨大な装飾山車であり、これらの山鉾が市内を練り歩く様子が特徴的です。
そして、ユダヤを連想させると言われているのが以下のこと
- 「祇園祭り」と「ジオン祭り」と名が似ている
- 山鉾が登場する7月17日は「ジオン祭り」と同じ日
- 祭りの神事の7日間が共通している
- 山鉾を飾っているのがペルシャ絨毯
- ジオン祭りとは
-
旧約聖書より:ノアの方舟がアララト山に漂着したのを確認した日が7月17日と言われる。
その前後数週間をジオン祭りとして古代イスラエルのシオン近郊で宗教行事が行われていたそうです。ジオン(ツィオン)が日本に入ってギオン(祇園)に変化したとしたら。
※ユダヤ人をJew(Giw)と言ったりもするらしい - 7日間とは
-
山鉾巡行を7日間ストップすることが、ユダヤの過越祭りで『7日間の種なしパン祭』の期間と重なる。(発酵されていないパンを食べることはエジプト脱出の夜なので発酵させる時間がないこと表している)
- 山鉾のペルシャ絨毯
-
山鉾のタペストリーにペルシャ絨毯が使用されているという謎があります。
しかも中には古い時代に作られたかなり貴重な絨毯もあるそうで、山鉾の形状自体がユダヤの仮庵(かりいお)祭にもソックリなのです。
船鉾という山車もあり、まさにノアの方舟祭りみたいだね
蘇民将来と過越祭り
厄払いの神事として船鉾が練り歩くというのは、疫病は船に乗ってやってくる象徴のように思えます。
来訪神🟰疫病であり、それは『蘇民将来伝説』につながります。
その蘇民将来伝説と、ユダヤの過越祭りがこれまた似通っていると言われているのです。
蘇民将来伝説とは
八坂神社の『夏越祭』は、蘇民将来伝説(備後国風土記)の逸文が元になっています。
大まかな内容はというと、
北の海から武塔神が南の海の女神を娶るためにやってきた。
日が暮れたのである兄弟に宿をお願いしたとこと、裕福な弟・巨たん将来は宿を貸してくれなかった。
貧しい兄・蘇民将来は宿を貸してあげ、それなりにもてなした。
それから数年後、武塔神は8人の御子神を連れて蘇民将来のもとへやってくる。
武塔神は「お礼がしたいが子はいるか?」と尋ね、蘇民将来は「妻と娘がいます」と答えた。
「茅の輪を作ってそれを腰の上に着けさせなさい」と言った。
言うとおり茅の輪を着けさせたところ、蘇民将来の娘以外、全員殺皆殺しになった。
そして「私はスサノオの神だ。後の世に疫病があったときに、『私は蘇民将来の子孫です』と言って茅の輪を腰に着けていれば、その人は疫病から逃れることができるだろう」と言った。
武塔神は疫病をもたらす神であり、その正体はスサノオだったようです。
そして茅の輪をつけた、ある一族だけは優先的に疫病から免れるといった内容ですね。
八坂神社では現在のご祭神はスサノオとなっていますが、蘇民将来伝説と関連する神様もそろって祀られているようです。
社名 | ご祭神 | ご利益 |
本殿 | 素戔嗚尊 | 厄除、災難除、商売繁盛など |
疫神社 | 蘇民将来 | 疫病退散 |
悪王子社 | 素戔嗚尊荒御魂 | 厄除、災難除 |
今でも祇園さんと呼ばれていますが、八坂神社は明治時代までは『祇園社』であり、祀られている神様は牛頭天王でした。
八坂神社のご由緒によると、斉明天皇2年(656)に高麗より渡来した伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に祀られた素戔嗚尊を山城国(京都)にも祀ったことが起源の一つとなっております。
これを読むと、朝鮮半島の高句麗から移動した民族が新羅の牛頭山にスサノオを祀る →その民族が信仰と共に日本に渡来し蘇民将来伝説が根付くといったところでしょうか。
蘇民祭の起源も祇園が始まりなのです
ユダヤの【過越祭り】の起源とは
過越祭り(パスオーバーPassover)はユダヤ教の最も重要な祭りの一つで、ユダヤ歴の7月15日から7日間行います。
この祭りは、モーセがエジプトのファラオによるユダヤ人の奴隷制度からの解放をもたらした出来事を祝います。
過越祭りの起源となった物語は『聖書:出エジプト記』に書かれておりますので一部抜粋します↓
十の災い:モーセはファラオに対し、ユダヤ人の解放を求めますが、最初は拒否されます。その後、エジプトには十の災いが起こります。これには、血の河川、カエルの大発生、虫の大群、家畜の疫病、エジプト人の皮膚病、ひょう、蝗虫、やまびこ、闇の三日間、長子の死などが含まれます。
ファラオは最終的にユダヤ人を解放することを認めます。その前夜、ユダヤ人は家族と共に特別な儀式であるセーダーを行います。
過越の夜には、神がエジプト全土で長子を打ち、ユダヤ人の家族を守るために、彼らは羊の血をドアの上部と両側に塗るように命じられました。これにより、神の天罰を逃れることができました。
戸口に赤い血を塗って目印をつけることにより、疫病神の災いからユダヤ民族だけが逃れられるといった内容です。
この部分がまさに蘇民将来伝説の茅の輪とリンクしてきますね💡
実際の過越祭りの期間中は、ユダヤ人はセーダー(Seder)と言う伝統的な食事を行い、ハガダー(Haggadah)と呼ばれる特別な冊子を用いて、過越の物語や儀式を読み上げるといった儀式を行うそうです。
『聖書:出エジプト記』によると・・
過越の夜の後、彼らはエジプトからの脱出の旅に出ます。
彼らは約40年間、荒野をさまよい、ユダヤ人の国、約束の地(カナン)への旅を続けます。
このユダヤ人の国・約束の地(カナン)とは、、一体どこなのでしょうか。
ひたすら東へ旅を続けたとしたら、たどり着く先は日本かもしれませんよね。
渡来人【秦氏】はユダヤをルーツに持つ?
古代日本の文化を形成していき、日本建国に多大な貢献をしたといわれている謎の渡来人『秦氏(はたし)』がおります。
渡来人が朝鮮半島から日本へ渡った時期は3世紀から7世紀にかけてといわれ、特に応神天皇の時代(283年)に弓月君(ゆづきのきみ)が10万人にも及ぶ民を連れて百済から渡来しました。
渡来後の弓月君は養蚕や機織りが得意で、その絹織物は肌のように柔らかく暖かいことから波多(はた)の姓を賜ったそうです。
謎の多い秦氏ですが、とにかく建築技術・養蚕技術・酒造りなど高度な文化を持っていたようで、平安京遷都は秦氏の資金力で実現したようなものだとか。
秦氏の出自には諸説あり、かなりザックリとしたものとして↓
- 秦の始皇帝の末裔
- 徐福が連れてきた童男童女
- 北ユダ王国の失われた10氏族の末裔
3世紀半ばに前方後円墳が出現した時期と、応神期に秦氏が渡来した時期と重なります。
もしかして、古墳の土木技術も秦氏由来ということでしょうか?
最新の遺伝子研究では、ユダヤ人と日本人には共通の遺伝子があることが報告されているそうです。
不思議なことに、中国人や韓国人にはほとんどない特殊な『YAP』DNA配列が含まれているとのこと。
京都の太秦(うずまさ)は秦氏の拠点だったようですが、京の飛鳥文化ってもしかして秦氏の文化そのものだったりして。
日本中にたくさんある神社、稲荷信仰・八幡信仰の元をたどると秦氏につながってきますが、秦氏を掘り下げると止まらなくなるのでここら辺にしておきます。
まとめ
ここまでの内容をまとめると
- 祇園祭がユダヤ信仰を連想させる部分が多い
- 蘇民将来伝説と聖書:出エジプト記の疫病から逃れるくだりが似ている
- 渡来人秦氏の存在が高度な技術と宗教文化の始まりの可能性
それにしても秦氏はこんなにも日本の宗教・文化形成に貢献しているのにも関わらず、あまり公に名前が出てこないのが不思議ですね。
渡来人は秦氏だけではなく、それぞれの時代に多種多様な民族が渡来してきた可能性も大いにあるようです。
太陽が昇る東の果ての日本という国は、様々な亡国の民が目指す最果ての地なのかもしれません。
神社で祀られている八百万の神々は、ユダヤルーツの世界中の神々の集合体なのかもしれない・・⛩️✨
【参考資料・HP】
・日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究
・八坂神社公式HP
・「日本」とは何か「日本人」とは何か 田中英道監修/ダイレクト出版
・日本の古代史発掘・研究最前線/宝島社
コメント