『イエス・キリスト』が来日していた。
という都市伝説は聞いたことがありますか?
通説で、キリストはエルサレムにあるゴルゴタの丘で十字架に磔にされて処刑されました。
しかし、実は生きていて青森で生涯を終えたという伝承があります。
その証拠に青森県三戸郡新郷村(しんごうむら)には『キリストの墓』があるというのです。
日本にやってきたことも信じがたい。
しかもなぜ青森に?
キリストの子孫もいるってよ!
そしてその地域に伝わる謎の盆踊り、『ナニャドヤラ』がキリストが居たという痕跡になるかもしれません…。
そんな伝承が発生した真相を紹介していきたいと思います。
キリストの墓の謎
青森県三戸郡新郷村(旧:戸来村)に古くから『十来塚(とらいづか)』と『十代墓(じゅうだいはか)』と呼ばれる盛土があったそうです。
その墓を守ってきた旧家:沢口家は先祖代々「偉い人の墓だから大切に守るように」と伝えられ守ってきました。
キリストの墓として発見されたのは、昭和10年(1935)。
古史古伝と呼ばれる歴史書『竹内文書』を公開した人物、竹内巨麿がその盛土を見て
「これこそがキリストの墓だ!」
と宣言した事から広く知れ渡るようになったりました。
キリストの墓・アクセス
キリストの墓にある【里伝承館】では、イスラエルとつながる村の風習や書物などが展示されておりますので、都市伝説好きな方は楽しめるスポットです★
【キリストの里伝承館】
青森県三戸郡新郷村戸来野月33-1
TEL:0178-78-3741
営業時間:9:00~17:00
料金:大人200円,中学生以下100円,未就学児無料
休館日:毎週水曜日
駐車場:あり
※ご見学の際には直接お問い合わせください
🔹JR八戸駅から車で60分
新郷村のキリスト伝説
新郷村に伝わる『キリスト伝説』は以下の通りです。
- キリストはゴルゴタの丘で処刑されておらず、処刑されたのは身代わりの弟・イスキリだった
- キリストはシルクロードを渡り八戸から戸来村へ辿り着いた
- キリストが来日したのは2度目で、若い頃に修行の為にやって来ていた
- 亡くなったキリストの墓は『十来塚』、弟・イスキリの墓は『十代墓』
- 『十代墓』にはイスキリの耳と髪、聖母マリアの遺品が埋葬されている
キリストが日本へ亡命したその後とは・・・
キリストは『十来太郎大天空坊(とらいたろうだいてんくうぼう)※』と名乗り、十和利山(とわりやま)にエデンの園を作る。
※八戸太郎天空坊(はちのへたろうてんくうぼう)ともいう
ミユ子という現地の女性と結婚し娘3人をもうけた。
その長女の嫁いだ先が『沢口家』である。
キリストは日本全国を放浪し、赤ら顔で鼻が高いその姿は『天狗』のようだったと伝えられる。
そして106歳という年齢で亡くなり、『ピラミッドの山』といわれる十和利山の頂上で風葬された。
日本神話に登場する猿田彦が実はキリストと同一神という説を聞いたことがありますか?
猿田彦=天狗(山伏姿)=キリストはここが発祥だったのでしょうか。それとも後からその説に乗っかったのか。。。(謎)
新郷村とユダヤのつながり
旧:戸来(へらい)村のへらいという地名がヘブライ(ユダヤ)が由来と言われています。
そしてこの地域では父親のことを「アヤ、ダダ」、母親を「アバ、アッパー」と呼ぶそうで、まるで旧約聖書に登場する『アダムとイヴ』のようです。
この地域で、子どもを初めて外へ出すときには額に墨で十字を書いていたそうです。
そして、亡くなった人の葬儀の際にも棺に十字を書く習わしがあるそうです。(魔除けでしょうか?)
キリストの末裔の旧家:沢口家の家紋が星型の五芒星に似いることから、ダビデの星六芒星を連想させます。
この沢口家の先代の当主の風貌が「眼は青く、目鼻立ちが日本人離れしていた」と言われていた人物だったようです。
盆踊り【ナニャドヤラ】はキリスト祭
新郷村では、毎年6月にキリストの慰霊祭『キリスト祭』が行われています。
神官による祝詞奏上や獅子舞、きわめつけは『ナニャドヤラ』といわれる盆踊りをキリストの墓を囲んで行われます。
このナニャドヤラは青森・秋田・岩手の一部地域に伝わる盆踊り名称で、地域によって踊りの型はさまざまです。
昭和39年から開催されているそうですが、起源は不明で鎌倉時代には普及していた日本最古の盆踊りと言われているそうです。
「ナニャドヤラよ、 ナニャドなされたきゃ、サーエ、 ナニャドラよ」というかけ声で踊ります。
この意味は不明ですが、ヘブライ語説や方言の恋の歌など諸説あるようです。
ヘブライ語説を主張したのは岩手県一戸町出身の神学博士の川守田英二氏です。
アメリカから帰省した際にこの『ナニャドヤラ』を聞いたところ、ヘブライ語で解読できることに気づいたという。
訳すと↓
「汝の聖名を褒め讃えん 賊を掃討し 汝の聖名を褒め讃えん」
このような意味だそうです。
2つの渡来人説
やはり、キリストといえば外から持ち込まれた宗教ですので渡来人説を考察します。
京からの渡来人
上記地図の旧:南部藩領には一から九まである戸のつく地名があります。
『ナニャドヤラ』が現在でも踊られている地域が『南部藩の領土』と、現在でも『戸がつく地名』と重なることからキリスト伝説はその地域に訪れた渡来人がもたらしたものの可能性があります。
この地域特有の一から九まである「戸」のつく地名(現在四戸はない)は、その起源が平安時代とも鎌倉時代ともいわれ、しかも馬と関係がある。
一説には、弘仁年間(810~824年)、文室綿麻呂 (ふんやのわたまろ)が蝦夷平定後、この地に残した守備兵の駐屯地(柵子)から発展した村落に由来するという。
一戸から七戸までがほぼ一日の行程間隔に並んでいることや、一郷を形成する戸主に戸番をつけ、これが柵子を置くときも適用されたとみられることが根拠になっている。
これに対し、鎌倉説は、源頼朝が牧馬政策の必要性から糖部群を置き、多くのご家人を地頭に任命したことに始まるとする。
その一人、南部氏は馬産地の甲斐出身で、牧の経営に手腕を発揮したという。
南部氏は、糖部群を九つの部(戸)に分け、一部(戸)ごとに七つの村と一つの牧場を置き、九戸を東西南北四つの門に分属させた(九ヶ部四門の制)といわれてきたが、最近では、九戸と四門が併存していたという説が有力である。
蝦夷平定後は、俘囚(ふしゅう)と呼ばれる大和朝廷に従った蝦夷たちは全国各地へ集団的に強制移住させられます。
代わりに関東や近畿方面から人々が移住されました。
【新撰姓氏録】(しんせんしょうじろく)によれば、平安時代の氏族の3割は渡来系氏族と記載があるようです。
東北の蝦夷征伐を指示した桓武天皇は百済系王族の子孫と言われております。
初めて征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂も渡来系氏族です。
当時の朝廷内には百済系イスラエル人がいたという説もあるので、文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)が蝦夷を平定したルート(一戸から九戸)にイスラム系渡来人が入植され『キリスト教信仰』が根付いていったのではないでしょうか?!
古代からの渡来人
【ナニャドヤラ】は東北訛りであるうえ、ヘブライ語で翻訳ができることから古代の東北にユダヤ人が渡来してきた可能性があります。
紀元前2300年、アッカド人がメソポタミアを統一したころ突如としてシュメール人が消えたといわれています。
それこそ、シュメール人の末裔が日本の北方から渡来し、東北のほうで文化を築いていったのではないでしょうか?
大昔の日本に歌垣という風習がありました。現代の盆踊りはその風習の名残りといえますね。
そう考えると、ナニャドヤラの歌詞が恋の歌という説がはまってきます。
東北弁、特に青森つがるの方言は翻訳が必要なほど現代の標準語とかけ離れています。
つがる弁を誰かヘブライ語で翻訳してみてほしいものです(笑)
まとめ・キリストの墓の真相
いろいろキリストの墓にまつわる根拠を提示してきましたが、実際の真相を明らかにすると・・・
新郷村に伝わる『キリスト伝説』は、古くから村に伝わるものではなく竹内巨麿の『竹内文書』を元にして伝えられた伝承のようです。
しかも『竹内文書』は偽書とされています・・・💦
盆踊り『ナニャドヤラ』は、ちょうど旧・南部藩領だった地域(青森県南部から岩手県北部)に伝わっていることから新郷村に限ったものでは無いようですし。
ヘブライ語を連想させる父母の呼称や、ナニャドヤラのニャーという言葉は旧・南部藩地域の人と話すとわかりますが、完全に方言といえます。
沢口家の家紋が五芒星と言われていますが、よくある桔梗紋のようですし、日本人離れした見た目はイスラム系渡来人の可能性を期待しましたが、話が盛られて青い眼となったらしいです。(残念!)
しかし、村おこしとして『キリストの墓』を有名にさせた新郷村はかなり腕が立ちますね💛しかも近隣には、『大石神ピラミッド』という観光地もあるようです!
こちらは巨石信仰の名残を感じられる本物のパワースポットでしょう⭐
話のネタにもなりますし、行ってみたくなる魅力的な観光地『キリストの墓』の真相でした。
【参考資料・HP】
・キリストは日本で死んでいる
著者:山根キク/たま出版
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