柳田國男の著書、遠野物語・第二話【遠野三山】に登場する3姉妹の女神伝承をご存知でしょうか?
この伝承には、3人の女神様が現れて、それぞれの山に鎮座していくという神話が語り継がれています。
しかし遠野の三女神の物語は実はひとつではなく、共通する似たような伝説が何個か存在しているのです。
時には坂上田村麻呂と結びつき、また時には安倍宗任の妻と娘たちの話など・・それらは古来から信仰されている三つの山と、大昔に活躍した岩手の英雄と結びついたような印象となっています!
こうした多層的な伝説の背景には、はるか古代からの宗教的・文化の流れが関わっているのではないのか・・

今回は、海人(あま)族の女神たちである「宗像三女神」の信仰が、東北へと伝わった可能性について探ってみました❣️
三女神伝説はなぜ生まれたのか?


遠野の観光でもここは外せない遠野物語の舞台、早池峰神社が登場する『遠野物語』第二話・遠野三山の女神とは以下のような内容となっています。
大昔に女神あり、三人の娘を連れてこの高原に来たり。
今の来内村(らいない)伊豆権現の社がある場所で宿をとった夜、1番良い夢を見た娘に1番良い山を与えると母神の言葉を聞いて娘たちは眠りにつく。
深夜に天より霊華が降りてきて姉の胸の上に止まったのを、末の妹が目覚めて密かにこの華を取り自分の胸の上に載せた。
末の妹がついに最も美しき早池峰の山を得て、姉たちは六角牛と石神とを得たり。
若き三人の女神がそれぞれ三つの山に住みし、遠野の女性たちはその妬みを恐れて今もこの山には入らないそうだ。



早池峰、六角牛、石神という三つの山をめぐる姉妹の競争と、末の妹が霊華を奪って一番美しい山を手に入れるという逸話。現代風にアレンジしました🌸
この話は「神話」として美しくもあり、どこか現実離れしていますが💦実は似たような三姉妹の女神伝説は遠野以外の地域にも伝わっています。
- 坂上田村麻呂の時代おないと三姉妹の伝承(伊豆神社伝承・来内地区)
- 安倍宗任の妻・おないと娘たちの山への神隠れ(遠野の伝承)
- 花巻の伝説にある三姉妹と蓮華の争い(花巻の伝説:及川惇/国書刊行会より)
こうした伝承を見ていくと、あることに気づきます。
それは、「三姉妹の女神」が単なる土地の神話ではなく、時代に起こった政権交代による広範囲な文化の伝播によって形成された可能性があるということです。
宗像三女神とは?


遠野に伝わる「三姉妹の女神」伝説の元ネタとして連想し易いのは、あの宗像三女神(むなかたさんじょしん)があげられます。
宗像三女神(むなかたさんじょしん)とは、宗像大社を総本宮として福岡県宗像市に祀られている三柱の御祭神のことです。
- 沖津宮 – 田心姫神(たごりひめ)
- 中津宮 – 湍津姫神(たぎつひめ)
- 辺津宮 – 市杵島姫神(いちきしまひめ)
この三柱は、海を守る神であり、古代の航海の守護神、また海人族の祖神としても知られています。
記紀にも三女神の記述があり、海を守る神であり、航海の安全・交通の安全を祈願する「道」の最高神として崇められています。
以下引用
『古事記』神代上巻に「この三柱の神は、胸形君等のもち拝(いつ)く三前(みまえ)の大神なり」とあり、元来は宗像氏(胸形氏)ら筑紫(九州北部)の海人族が古代より集団で祀る神であったとされる。
(Wikipediaより)
宗像大社の神々は、地理的に古代には朝鮮半島との航路を守護し、海上交通や外交に深く関与していたとされます。



そもそも、海人族って何ですか?
古代日本の海人族(かいじんぞく・あまぞく)とは
航海や漁を生業とした海の民で、海の神を信仰する一族のこと。宗像氏や安曇氏が代表的で、大陸との交流や海上交通を担っていました。宗像三女神や綿津見神を祀り、古代王権とも深く関わっていました。
宗像の信仰は東北にも流れていた?


では、この宗像三女神の信仰がなぜ東北・岩手にまで伝わったのでしょうか?!
実は、東北各地には宗像三女神のうちの一柱である市杵島姫命を祀る神社や、その痕跡を思わせる地名や信仰がけっこう存在しています。
宗像信仰の名残を感じさせる神社
- 遠野市:巖龍神社
- 宮古市:厳島神社
- 山田町:大沢弁財天
- 釜石市:厳島神社、三貫嶋神社
- 大船渡市:市杵島神社(同名の神社が複数ある)
- 気仙市:市杵島神社(同名の神社が複数ある)
- 八戸市:蕪嶋神社
弁財天様などを祀っている神社を探せばたくさん発見できますが、、弁財天様は全国区ですもんね!
東日本だけを見て市杵島姫を祀る神社は、日本海側よりも太平洋側がほとんどです。
関東から東北へと北上していく海人族の交易経路のように見えてきます。
宗像氏やすずめが岩手まで辿ったルートが海神族のルートとほぼ同じだったりして


遠野三山の女神は“船乗りたちの目印なのか?”
宗像三女神は、本来【海の女神】として航海の安全を司る神々でした。
やがてその信仰は、各地で「弁財天」と習合し、湖や川、さらには山の神へと姿を変えていきます。
もともと、宗像三女神が祀られている沖ノ島などは、古代の航海において“目印”となる島でした。
世界中の古代の船乗りたちは、夜空に輝くオリオン座の三つ星を指針にして、遠洋を渡ったともいわれます。
それと同じように、岩手の沿岸部に暮らす人々にとっては、沖に島が少ない地形のなかで、遠くからでも見える早池峰山が、海から陸へ戻るための目印=ランドマークだったのかもしれません。
空の星を仰ぎ、地の山を仰ぐ——
三つの星、三つの山。どちらも、古代の海人たちにとっては“帰る場所”を示す神聖なシンボルだったのでしょう。
こうした背景をふまえると、宗像三女神のような航海の守護神信仰が、島ではなく山へと転化した可能性も考えられます。
岩手の人々は、山に神を見出し、三山の女神として祀った・・それは、土地の風土と信仰が融合して生まれた、隠れた【海の神話】だったのかもしれません。
遠野三女神伝説の“多重構造”とは?
ここまでの伝承を見てみると、遠野の三女神伝説は、以下のような多重な構造が重なって形成されたと考えられます。
岩手では北方系由来や縄文に見られる「山や水に宿る女の精霊・女神」の瀬織津姫をご祭神とする神社が多くあります。
また、蝦夷征討後に山岳信仰・仏教が流入したことで宗教文化が習合していきます。それを踏まえて遠野の三女神伝説は以下のポイントで形成されていったのでは無いかと推測ができます。
- 渡来系宗教や英雄譚との融合
→ 坂上田村麻呂や安倍氏の伝承と絡められる中世以降の昔話へ - 海人族の神・宗像三女神の変容
→ 本来は海の神であった三女神が、それぞれの山へと登り鎮座するイメージへ
それは、まさに東北という地が古代から多種多様な文化や信仰の交差点であったことの象徴なのかもしれません。


まとめ|遠野の三女神は“東北の宗像”かもしれない
遠野に伝わる三女神伝説は、単なる民話ではありません。
そこには、原始の女神信仰と山岳信仰、渡来系の英雄伝説、そして海の民の神である宗像三女神の記憶が折り重なっています。
遠野という場所が、古代からの文化と信仰が交差する“場所”だったこと。
そして今なお、それが女神たちの物語として人々の記憶として受け継がれていくことでしょう。



神話や伝承を手がかりに、残されていない古代東北の歴史を想像するのって面白ーい!


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