東北ヒストリー– category –
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【静御前伝説】義経と静御前の子どもは生きて子孫を残していた!
源義経の愛妾として有名な静御前(しずかごぜん)は、史書『吾妻鏡』によると鎌倉で出産した後、京へ帰されたとあります。 その後の消息は記されておりません。 静御前はその後どうなったの?! 史書には残されておりませんが、静御前はどのよう生きて生涯... -
奥州藤原氏4代目/藤原泰衡は影の功労者?中尊寺金色堂に眠るミイラ首の謎
平泉・中尊寺金色堂には藤原氏4代のミイラが安置されております。4体のうち3体は藤原清衡(きよひら)、藤原基衡(もとひら)、藤原秀衡(ひでひら)のミイラ、残り1体の首だけのミイラは藤原忠衡(ただひら)(泰衡が殺したといわれている弟)のもの... -
源義経とチンギスハンの共通点は東北文化に秘密があった!
数々の伝説が語り継がれる英雄『源義経(みなもとのよしつね)』ですが、彼は義兄の源頼朝から追われる身になり平泉で妻子と共に自害するという哀しい結末となっています。 しかし、岩手県や青森、北海道で語り継がれる伝説では生き延びて北へ向かったとい... -
源義経の愛した静御前とはどんな性格?白拍子は遊女?彼女の生涯とは・・
源義経の静御前って有名だけど、妾なのになんで人気があるの? それはね、静御前はめちゃくちゃ『いい女』だったからですよ💖 ※この記事では、歴史書の『吾妻鏡』、その他『地域伝承』から語られる静御前(しずかごぜん)の人物像と生涯をわかりやすく紹介... -
義経はブサイクで性格悪い?!いいえ、世間知らずなだけでした。
平家を滅亡に導いた天才軍略家『源義経(みなもとのよしつね)』ですが、これまでの演劇に見られるイメージは容姿麗しい悲劇の武将といった人物像です。 しかし近年で言われるようになった義経の評価は、「出っ歯でブサイク」・「卑怯者」・「規律を乱す空... -
【義経伝説と重忠伝説】馬を背負った男、畠山重忠の子孫は東北に?!
悲劇の英雄・源義経(みなもとのよしつね)は『平家滅亡』に導いた功労者であり、武勇も持ち合わせる天才軍略家と称されております。 しかし、同じく源平合戦で活躍し智勇を兼ね備えた武将がおりました。 その名は畠山次郎重忠(はたけやまじろうしげただ... -
源義経はなぜ強かったのか?|藤原秀衡が庇護した理由を伝説から探る★
数々の伝説を残した人気武将。悲劇のヒーロー源義経(みなもとのよしつね)ですが、『牛若丸と弁慶の五条大橋での出会い』など牛若丸時代の義経物語は多く知られています。 しかし、鞍馬寺を脱出し平泉に身を寄せてから源頼朝による源氏再興の立ち上げに参... -
源義経は死んでない!?リアルな岩手の『義経北行伝説』とは★
歴史界の悲劇の武将と称される源義経(みなもとのよしつね)は、全国各地に義経にまつわる伝説が数多く語り継がれています。 義経は、判官贔屓という言葉ができるほど人々に同情され愛された人物といえます❣ ※判官とは・・義経の役職 人気があるがゆえに実... -
前九年合戦とはどんな戦だったのか|東北の『安倍氏』は蝦夷ではない説
岩手県には【世界文化遺産】に登録された平泉の中尊寺、毛越寺など奥州藤原氏が築いた寺院や遺跡があります。 その黄金文化を築いた奥州藤原氏が支配する何十年か前に奥六郡(岩手県中南部)を支配していた豪族『安倍一族』がおりました。 奥州藤原氏の基...