青森県八戸市に鎮座する『小田八幡宮(こだはちまんぐう)』へ参拝してきました★
創建が約1000年前ともいわれ、『義経北行伝説』にまつわる毘沙門天像など市の指定文化財が保存されております。
【小田】の地名の由来は、義経たちが小さな田を段々に開墾したことによるといわれています。
八戸の『義経北行伝説』を巡って訪れた小田八幡宮をご紹介したいと思います。
源義経の生存を裏付ける宝物の数々。この目で現物を確認して参りました✨
小田八幡宮の歴史
創立年は不詳ですが、天喜年中(1053~1058)に鎮守府将軍・源頼義が陸奥国平定の際に八幡社を建立して鎮守とします。
その後『源義経の北行伝説』に基づく北行の際に、義経一行はこの地を仮住まいとし当社に毘沙門天像を合祀し、その背中に八幡尊像を納め祀りました。
天和年間(1682)以降は【天台宗・福田山徳城寺】や【小田毘沙門堂】とも称され神仏混合の霊地として崇拝されていました。
明治の神仏分離によって、毘沙門天像の中に納められていた八幡尊像を分離奉安し【八幡宮】と改称します。それから八戸北方の鎮守として現在に至っております。
アクセス
【鎮座地】
〒039-1160
青森県八戸市小田1丁目2-1
0178-28-3007(社務所)
0178-28-3007(FAX)
受付時間:不明
駐車場:あり※近隣セブンイレブン
御朱印:あり
どんと祭:1月15日
夏越大祓:6月30日
例大祭:9月第2日曜
🔹JR長苗代駅から車で6分
🔹八戸北ICより車で6分
ご祭神・ご利益
ご祭神 | 誉田別命(ほんだわけのみこと) |
ご利益 | 武運勝負、家内安全、交通安全、殖産興業、学問教育、病災厄除け、諸願成就 |
義経北行伝説とは
小田八幡宮も、義経生存にまつわる伝承地となっているのです❣
上記の案内板に記されているように、源義経一行は八戸までやってきて近くの高館に仮住まいとして居住していたそうです。
義経は持参した『毘沙門天像』を八幡神に合わせて奉り、家来たちが写経したといわれる大般若経も奉納したといわれます。
毘沙門天像
脇侍として吉祥天と善日童子がおり、背中に体長3寸6分(12㎝)の八幡尊像が収められていました。八戸市指定文化財となっております。
義経が鞍馬山から持参したといわれ、高さ1mで銅や脛あてに金粉が塗られ両目には水晶が埋め込まれています。そして背中の穴には小さい八幡像が入っていたそうです。
平安時代の仏像として、金を塗り玉眼を入れるあたり奥州藤原氏の資金源から造られた毘沙門天像ではないか?と個人的に思いました。
大般若写経
義経一行が写経したと伝えられ、全600巻のうちの300巻が経箱と共に現存しています。
宮司さんが仰るには、八戸藩主8代目の南部信真(なんぶのぶまさ)の娘・鶴姫のところに島津藩の末子・島津信順(後に9代目・南部信順なんぶのぶゆき)が婿養子として迎えられたそうです。
理由として横浜には黒船、北海道にはロシア艦隊など日本が危機的状況下にあり、北方堅守の為に島津家から送り込まれたとのこと。
写経が不足しているのは、その時に島津家へ土産として渡した為と伝わっているそうです。
それぞれ筆跡の違う写経で、かなりの古めかしい紙がリアルに義経伝説とつながる感じがしました✨
参拝レポート
道路を挟んでセブンイレブンの向かいにあります。車通りの多い道路沿いに鳥居が建っているので正面から写真を撮るのが難しいです💦
八戸市指定文化財の隋神門です。嘉永7年(1854)に建造され三間一戸入母屋造りの八戸で唯一の八脚門。
小田仁王門とも呼ぶそうです。
境内は池があり、鯉もいます。綺麗に手入れをされた立派な庭園でした。
拝殿までの周辺も広く綺麗で空気が澄んでいました。境内社がたくさんあり、参拝客が私一人でしたのでゆっくり何度も周ることがでました💖
境内社・摂社・末社
境内に祀られている摂社・末社をご紹介します。
毘沙門堂へ通ずる参道橋が立派です✨
毘沙門堂
ご祭神:毘沙門天尊
ご神徳:勝負運、金運、開運、商売繁盛、
健康長寿、厄除
義経堂
ご祭神:源義経命
ご神徳:武運、必勝運
蒼前社
ご祭神:蒼前大神、大国主大神
ご神徳:五穀豊穣、縁結び、夫婦和合、商売繫盛
龍神社
ご祭神:龍神
ご神徳:五穀豊穣、金運、縁結び、健康長寿、
病気平癒
子安社
ご祭神:木花開耶姫命
ご神徳:無病息災、安産・子授け、厄除け
授与品・まとめ
御朱印【初穂料300円】
社務所は人が不在でした。イベント時に開かれるのでしょう。
境内の近くにある宮司さんのお宅を訪ね、御朱印を頂きました❣義経北行伝説地を巡っていることを伝えると、気さくな方でいろいろお話をして頂き感謝でした🌸
義経伝説を巡る旅に外せない神社です⭐
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