アシタカはナガスネヒコでえびす様で蝦夷なのか?

ナガスネヒコはエビス神で蝦夷

奈良県の富雄丸山古墳から、これまでに類を見ないものが発掘されました。

それは日本最大となる長さの『蛇行剣(だこうけん)』と龍の文様が施された『盾形銅鏡』と呼ばれるものでした。

富雄丸山古墳がつくられた時期が4世紀後半と言われていて、その時期は他国の歴史書にも何も記載が無いことから

日本で何があったのかが全く不明の空白の4世紀といわれる時代なのです。

愛らんど

このニュースにはかなり興奮しました!龍・富雄・生駒山の近くの古墳、、墓の被葬者はナガスネヒコでは・・?

わんこ君

日本神話に出てくる神武天皇が苦戦する強敵のナガスネヒコのこと?

日本神話は基本、神々のお話しなのでフィクションのように思えます。

しかし、古事記・日本書記を編纂するにあたって元となった神話や出来事があるはずなので、真実の歴史が散りばめられた書物とも言えます。(そこを多種多様に解釈したり考察するのが古代史ロマンです✨)

愛らんど

そう、もののけ姫のアシタカの名の由来はナガスネヒコからつけられている説がある。これは東北の蝦夷と呼ばれた人々とナガスネヒコとのつながりを暗喩しているのでは?

ナガスネヒコと東北の蝦夷とをつなぐもの、さらにその奥にあるルーツを考察してみたいと思います!

目次

ナガスネヒコとは何者?

神武に抵抗した豪族のナガスネヒコ

ナガスネヒコとは日本神話に登場し、神武天皇の東征の際に抵抗した土着の豪族の長です。

日本書紀では長髄彦(ながすねひこ)ですが、古事記では登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)、登美毘古(とみびこ)とも記載されている。また、大彦(おおひこ)という呼び名も伝承で語られています

日本神話によると

天の磐舟に乗って河内国に降臨した饒速日ニギハヤヒは、その後大和国の鳥見の白庭山へ行きナガスネヒコの妹と結婚する。

ナガスネヒコは妹婿のニギハヤヒの部下となる。

神武が生駒山を越えて大和へ侵攻してきて、ナガスネヒコが迎え撃ちます。

その時に、神武の兄の五瀬命(いつせのみこと)が矢に当たり亡くなる。

神武は強敵であるナガスネヒコに苦戦し、次は熊野方面へ迂回して再び攻めようとすると金鵄(きんし)に助けられナガスネヒコ軍を敗りました。

ニギハヤヒは祖が同じであった神武へ服従の証として、ナガスネヒコを殺して帰順するのでした・・・。

日本神話が実話だと仮定すると、先に降臨したニギハヤヒ天津神が先住民のナガスネヒコと親戚になるが、後から降臨した天孫族とニギハヤヒが結託する。裏切ってナガスネヒコ国津神を滅ぼす。というような歴史背景が想像できます。※金鵄は古代ヤマトにおいて重要な氏族を暗喩しているのかもしれません

わんこ君

同じく神武に退治された葛城の土蜘蛛も、胴が短く手足が長い先住民を表しているみたい!手足が長い民族って一体。。

アシタカの名はナガスネヒコがモデル?

アシタカはナガスネヒコがモデル

『もののけ姫』の序盤で、エミシ村に住むアシタカが祭祀を司るヒイ様から呼ばれていた名前が「アシタカヒコ」でした。

アシタカとナガスネヒコの共通点

●アシタカ・・脚高(あしたか) →  ナガスネ・・長脛(ながすね)
●アシタカヒコとナガスネヒコ(大彦) → 彦・日子は男子を表す美称であり、大彦は皇太子を意味する
●アシタカは次世代のエミシ村の長となる存在 → ナガスネヒコは先住民の豪族の長

なぜ、エミシ村出身のアシタカの由来がナガスネヒコとなるのか?

ナガスネヒコは神武に敗れた後、死なずに東北へ亡命したという歴史書や伝承が多数存在しているからなのです。

もののけ姫のエミシ村のモデルとなった場所です

ナガスネヒコと安倍氏

ナガスネヒコは蝦夷でエビス

ナガスネヒコ東北の安倍一族を関連付ける歴史書や伝承をご紹介したいと思います。

それらにはナガスネヒコやその子孫が安倍姓を名乗り、東北へ移り住んだという共通点があったのです。

東日流外三郡誌(つがるとそさんぐんし)

唯一、古代東北の歴史が記されている書物として(偽書と認定されようとも)根強くファンが残る史書『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』

そこにはナガスネヒコが、東北にいた多様な部族を併合してアラハバキ王国を誕生させたと記されています。

九州に起こった日向族が三輪山の安日彦王・生駒山は長髄彦が治めていた邪馬台国(奈良)を襲い、長期に渡り攻防。

そのうち安日彦たちは東北へ逃れ、長髄彦は会津で温泉に浸かり傷を癒す。

さらに北上し津軽に定着し、先住民のアソベ族・ツボケ族などと併合しアラハバキ王国が誕生する。

勢力が拡大していき一族の根子彦王が孝元天皇として即位する。

坂東(関東)境に西南は倭国、東北は日高見国として分かれた。領界は安日川(静岡)としている。

その後の子孫は安倍一族や津軽・安東氏とつながっていった。

この史書の内容はトンデモ説と呼ばれていますが、空白だった東北の歴史がしっかりと存在していた!という希望を抱かせてくれます。

出雲の伝承

出雲の伝承とは、古代出雲王朝の東王家の『富家(とみけ)』の伝承者・當当雄(とみまさお)氏が語り継いだ口伝のことを言います。


出雲王国の副王だった事代主の子孫の磯城王朝のクニクル(孝元天皇)大王の御子・大彦が、

九州から侵攻してきた物部勢力に敗れて摂津国三島から琵琶湖の東岸に逃れた。

日本書紀では大彦を富ノ長髄彦と書き、ヤマトでニギハヤヒが殺したとなっているが誤り。

大彦ははじめ伊賀の敢国(あへこく)を地盤としていたので、アヘ家を名のり後に安倍家となった。

大彦は摂津国の三島に『三島神社』を建て、大彦の子のタケヌナカワワケも伊豆に『三島神社』を建て先祖の事代主を祀った。

彼は北陸に退去した、と伝わる。

出雲王家の直系の富家が語り継いだ出雲口伝は、具体的な地名や由来が実在の神社にもあることから

史実であるように感じさせられます。

事代主とは・・

古事記・日本書紀で、高天原からの使者から国譲りを求められたとき、父である大国主が息子の事代主に相談して重要な判断を委ねられた神様(八重事代主ともいう)七福神の一柱のえびす様と同一神とされている
(参考:美穂神社HP

愛らんど

平安時代のあたりから本地垂迹説により大国主は大黒天様、事代主は恵比寿様になりました。

ナガスネヒコと蝦夷

孝元天皇の子は大彦でナガスネヒコ

これまで日本神話で登場するナガスネヒコは、神武天皇に立ちはだかる強い先住民の長という存在でしかありませんでした。

しかし伝承や口伝によると、ナガスネヒコの正体や先祖や子孫はえびす様になった事代主、孝元天皇の第一王子、安倍氏という名のある人物ばかりです。

えびす様はたくさんの字が当てられています。

えびす = 恵比寿、恵比須、蝦夷、夷、戎、蛭子、胡など

『夷』や『戎』という言葉は、北方の異民族だったり南海の未開人を表す言葉のようです。

『蛭子』はヒルコとも言います。

これは海から流れてくる漂流物は海神からの贈り物といった民間信仰が、日本神話のヒルコ(不具の子)と結びつき『えびす信仰』となりました。

古代中国で使用されていた東の蛮族という意味の東夷という言葉を、記紀編纂者は中華思想を意識して使用したのかもしれません。

なぜなら天孫族の大和政権にとって、先住民のナガスネヒコ=事代主の子孫はまつろわぬ民であり異民族と同じ立場と見ているからです。

イザナギとイザナミが最初に産んだ子が不具の子のヒルコで、海に流したという神話に類似した神話は東南アジア方面に多数あるようです。

東北の蝦夷と呼ばれた人々は大和政権軍に征伐された後に、支配を広げていった安倍一族や奥州藤原氏も中央政権側から見ていつまでも蝦夷のような見方をされていました。

要するに、勝者として君臨している者(中華思想を意識する民族)にとってまつろわぬ民は全般的に蝦夷と見るということなのでしょうか。

日本書紀編纂の時期は唐を意識して、日本という国として成り立っているアピールがあったのが定かではありませんけど。

東北の蝦夷(安倍氏や奥州藤原氏)とナガスネヒコは、記紀編纂以降の大和政権とは別の国として存在し統率していた氏族だったという共通点があります。

その共通性から『もののけ姫』のアシタカは蝦夷であり、大和政権から見て同じまつろわぬ民のナガスネヒコがモチーフとなった背景なのでは?という結論です。

わんこ君

ナガスネヒコは実在の人物だったんだ!

愛らんど

実在したかは謎ですが、大彦と似た名の大足彦尊(おおたらしひこのみこと)という人物もいます。大きい足の??そう、景行天皇という人物です!古代の日本の歴史は謎だらけ沼にハマります・・

【参考資料】
・古代蝦夷を考える 高橋富雄/吉川弘分館
・知られざる東日流日下王国 和田喜八郎/八幡書店
・出雲と蘇我王国 斎木雲州/大元出版

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