岩手県岩手県西磐井郡平泉町にある『高館義経堂たかだちぎけいどう』へ参拝してきました。
ここは源義経が最後に過ごした場所であり、亡くなった場所といわれています。
奥州藤原氏が繁栄させた平泉の地は、
義経にとって最大のゆかりの地と言っても過言ではないと思っています。
というのも、義経の波乱万丈な人生の中で、
青年期と平家討伐後と2度にわたり、
藤原秀衡の庇護を受けたという恩恵が深い場所であるからです。
栄華を誇った奥州藤原氏と、武将として輝きを放っていた源義経の夢の跡地・・・
しかも高館では、高館物怪(たかだてもっけ)といわれる舞が踊られていました。
その舞は、義経の亡霊から生まれたという伝承があります。
そして諸説ある岩手の伝統芸能『鬼剣舞』のルーツと呼べるものなのでした!
- 高館義経堂のアクセス
- 高館義経堂の参拝レポート
- 高館義経堂の授与品紹介
- 義経関連のオススメ観光ルート紹介
義経最期の地、高館義経堂とは
言わずと知れた?源義経の終焉の地『高館義経堂』です。
藤原秀衡の死後に、跡継ぎの奥州藤原氏4代目・藤原泰衡に突然館を襲われます。
義経は文治5年(1189)、館の中で妻子とともに自害したと伝えられています。
享年31歳。
高館は北上川に面した場所で、※判官館とも呼ばれているそうです。
※判官…源義経の役職名で義経の呼び名
義経堂は、約500年後に仙台藩主・伊達綱村が義経を偲んで建立しました。
ここのお堂には立派な義経像が祀られていて、
在りし日の凛々しい義経様にお会いすることができます♡
この地に松尾芭蕉が訪れ、
義経や栄華を誇った奥州藤原氏の滅亡を想い、おくの細道『夏草や…』の句を詠んだといわれています。
藤原泰衡はなぜ義経を討ったのか?!
アクセス
【高館義経堂】
〒029-4102
岩手県西磐井郡平泉町平泉字柳御所14
TEL:0191-46-3300
毛越寺:0191-46-2331
営業時間:8:30~16:30
(11月21日~3月14日冬季休館)
【拝観料】
大人:300円、
小中学生:100円
駐車場あり(無料)
※令和4年6月時点の情報です
●平泉前沢ICから車で11分
●平泉駅から徒歩で15分
●るんるんバスで10分
初めて平泉へ来られる方はアクセスガイドが役に立ちます
高館物怪(たかだてもっけ)とは
平泉の高館に伝わる舞【高館物怪たかだてもっけ】は、義経や義経主従の亡霊を鎮めるためにはじまったという伝説があるそうです。
物の怪(もっけ)とは・・・お化けのこと
高館にお化けが出たので、それを鎮めるために踊った舞が高館物怪(念仏剣舞)の起源です。
江戸時代に奥州市の朴ノ木沢地区に伝わり、
現在では【朴ノ木沢念仏剣舞ほおのきさわねんぶつけんばい】の名で伝統芸能として受け継がれております。
以下、高館物怪の概要の一部抜粋
伝承によると、「高館物怪」は門外不出のものとして高館だけで踊られていたが、明応3(1495)年、高館剣舞の駄一郎により盛岡の中津川、南部の立花、胆沢の都鳥に伝授され、文久3(1863)年になって朴ノ木沢の惣五郎に受け継がれた。踊り手は8人一組を基本とするが、「一番庭(本剣舞)」は踊り手13人に猿面のカッカタ(釈迦の化身)1人、少女もしくは少年の胴取り2人がつき、武者の亡霊が荒れ狂い、やがてカッカタによって鎮められるストーリーが展開される。
朴ノ木沢念仏剣舞 | いわての文化情報大事典 (pref.iwate.jp)
岩手県全土に伝わる鬼剣舞のお面は共通して、
鬼のような憤怒の顔で落ち武者のようなザンバラの毛が特徴です。
鬼と言っても角(つの)はなく、仏の姿として表現されているようです。
【高館物怪】は、義経の無念の思いが亡霊となって現れ、
鎮魂の舞として踊られ続けました。
伝統芸能となった現在も、
無念の思いは踊りを通して東北の人々の魂に刻まれてる気がしてなりません。
北上に伝わる『川岸剣舞』も安倍氏:黒沢尻五郎の亡霊鎮魂が起源となっています!
高館義経堂・参拝レポート
参拝者用の駐車場から高館義経堂の『拝観券発行所』まで坂道を登ります。
ここで拝観料をお支払いする時に、御朱印をお願いして御朱印帳をお預けしました。(引換札が渡されます)
松尾芭蕉の句碑です。
芭蕉が平泉に訪れたのは元禄2年(1689)旧暦5月13日(6月29日)とのこと。
義経堂からみえる、北上川や束稲山の眺めが素晴らしいです。
(この日は雨だり曇りだったりのお天気でしたが)
資料館です。年季の入った仁王像がリアルに時代の古さを感じさせますね。
義経に関連する人物たちの系譜や、静御前のことなど詳細に展示されています。
全部読みたい!
この石段を登ると高館の丘の最上部です。
きました『義経堂』です!
お堂の中には、立派な甲冑をまとったイケメンな義経公の像が安置されております★
亡くなってから800年も経つというのに、本当に愛されてますね!
義経主従供養塔です。
義経記など、物語の影響からか弁慶はじめ義経の家来たちも有名ですね。
本当に義経を慕い付き従ってきた家来たちにも黙祷。
この記事で義経の家来たちも紹介しています
高館で自害し義経の生涯は幕を閉じます。
ですが、実は生きていて北を目指し旅立ったという【義経北行伝説】もあるのです★
そしてこの高館義経堂が、北行伝説のスタート地点となるわけなのです!
次は、岩手の義経北行伝説の地を巡ってみましょう★
授与品(御朱印など)
【御朱印・初穂料300円】
ひと通り拝観し終わって、引換札を渡して御朱印を頂きました。
カッコ良い字体ですね、ありがたいです!
【義経勝守り・初穂料1000円】
勝負お守りもげっと。めちゃくちゃ強い義経のお守りは最強ですよね★
ゆっくり見てまわって20分ほどの所要時間でした。高台から眺める風景も、義経堂もなんだか切なさを感じさせ・・・芭蕉もきっとそう感じてあの句が生まれたのでしょう。
【義経ゆかりの地】おすすめ観光ルート★
平泉は、見どころがたくさんありますが
義経ファン向けのオススメ観光ルートをご紹介致します。
高館義経堂とあわせて、【義経ゆかりの地めぐり】を楽しんで頂ければと思います★
武蔵坊弁慶の墓
弁慶の立ち往生で有名な、義経に付き従った忠臣『武蔵坊弁慶大墓碑』です。
中尊寺の月見坂・入口の手前にひっそり供養碑が建てられております。
【武蔵坊弁慶大墓碑】
〒029-4102
岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関地内
TEL:0191-46-2211
営業時間:8:30~17:00
(11月4日~2月末16:30まで)
【中尊寺・拝観料】
大人:800円、高校生:500円
中学生:300円、小学生:200円
中尊寺駐車場あり(400円)
●平泉前沢ICから車で5分
●平泉駅から徒歩で19分
●るんるんバスで10分
源義経公妻子の墓
高館の館で義経は、妻・北の方と4歳の我が子を殺害してから自害したと伝えられています。
その妻子のお墓が金鶏山の麓に供養されていて、
周辺に藤原三代の御位牌が安置されている『千手堂』もあります。
【源義経公妻子の墓】
〒029-4102
岩手県西磐井郡平泉町平泉花立4-62
営業時間・不明
駐車場なし
(平泉文化遺産センター駐車場に停めれそう→無料)
●平泉前沢ICから車で10分
●平泉駅から徒歩で15分
弁慶堂
弁慶堂は中尊寺の月見坂・参道沿いに建立されています。
元は火伏の神・将軍地蔵菩薩を祀る愛宕社だったようですが、
お堂の中には木造の弁慶の像と義経像が祀られております。
【弁慶堂】
〒029-4195
岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関202(中尊寺境内)
TEL:0191-46-2211
営業時間:8:30~17:00
(11月4日~2月末16:30まで)
【中尊寺・拝観料】
大人:800円、高校生:500円
中学生:300円、小学生:200円
中尊寺駐車場あり(400円)
●平泉前沢ICから車で5分
●平泉駅から徒歩で19分
●るんるんバスで10分
毛越寺
毛越寺にも、松尾芭蕉が高館で詠んだ句「夏草や・・・」の句碑があります。
芭蕉の真筆の碑を見ることができますよ。
義経が頼朝から逃れ平泉にたどり着いたとき、藤原秀衡は温かく迎えてくれたそうです。
当時の美しい姿の浄土庭園を、義経も眺めたかもしれませんね。
【毛越寺】
〒029-4102
岩手県西磐井郡平泉町平泉大沢58
TEL:0191-46-2331
営業時間:8:30~17:00
(11月4日~2月末16:30まで)
【拝観料】
大人:700円、高校生:400円
小中学生:200円
駐車場あり(300円)
●平泉前沢ICから車で10分
●平泉駅から徒歩で8分
●るんるんバスで3分
道の駅平泉
休憩スポットに最適な【道の駅平泉】。新しくてなんだかお洒落ですね★
レストランで腹ごしらえもできますし、お土産・平泉の農産物・どぶろくなど販売されています。
平泉限定の金粉ソフト500円!黄金文化らしいゴージャスなソフトクリームですね♥
【道の駅平泉】
〒029-0142
岩手県西磐井郡平泉町平泉伽羅楽112-2
TEL:0191-48-4795
売店営業時間:9:00~18:00
(12-3月9:00~17:00)
駐車場:無料
●平泉前沢ICから車で10分
●平泉駅から徒歩で14分
●るんるんバスで18分
義経ゆかりの地・番外編
高館からスタート!義経北行伝説地巡り
知られざる義経が青年期を過ごした【紫波町・赤沢】
義経の妾・静御前のゆかりの地【宮古市】
おわりに・義経ファンの方へ
源義経といえば、鎌倉や京都、下関などがゆかりの地としての印象が強いと思います。
とはいえ、彼はほぼ逃避行と戦の遠征で日本全国を移動しまくっている人生なので、
全国に義経主従の足跡が残り伝説となって語りつがれております。
そんな中、義経が唯一安息の地と呼べる場所が平泉だったのではないかと思います。
義経の運命は、奥州藤原氏と共に連動していて
強烈に栄華を誇ってあっという間に散ってしまいました。
あまりにも報われなさに同情し心惹かれ、
現在までも人々から愛され続けているのでしょうね。
そして、岩手県にも歴史書にはない義経伝承が数多くあります!
私も義経に魅入られちゃったひとりです★この記事を見て義経の追っかけしたくなった方、ぜひぜひ岩手におでんせ~♪
初めて平泉へ来られる方はアクセスガイドが役に立ちます
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