古代氏族『物部氏(もののべし)』はご存じでしょうか?
学校の教科書に、宗教対決で物部守屋(もののべのもりや)が蘇我馬子(そがのうまこ)に滅ぼされた丁未の乱(587年)でその名が登場しますが、その後歴史から姿を消してしまいます。
しかし物部の子孫が落ち延びたと云う伝説が全国各地にあり、物部氏から名前を変えた末裔もたくさん存命しているようです。(奈良県の石上神宮など)
そして、秋田県大仙市にある唐松神社(からまつじんじゃ)にも物部氏の末裔によって秋田物部文書(あきたもののべもんじょ)と呼ばれる古文書が保管されているそうなのです!
物部氏って何者?物部文書に何が書かれているのやら・・
「ニギハヤヒ」という伝説の神様の肖像画も、唐松神社にあるそうです!
秋田『物部文書』とは
物部守屋の子息・物部那加世(もののべのなかよ)が秋田へ逃れ、その末裔が現在の唐松神社・宮司『物部(ものべ)』さんだと言われます。
古史古伝という書物に分類される『物部文書』とは、唐松神社の宮司が一子相伝で代々受けついできた文書のことをさします。
物部氏の来歴や神社創建にいたる歴史が記されているそうで、その内容は門外不出でしたが1983年に一部公開されました。
公開された部分の内容や、そこから見える日本古代史の謎を考察します。
非公開の文書は秋田物部氏がしっかり伝承を守っているため謎がつきません⭐
饒速日(にぎはやひ)が天孫降臨
秋田物部文書によると、物部氏の祖先は天照大神の孫の饒速日命(以下ニギハヤヒ)である。
ニギハヤヒは十種の瑞宝(とくさのみずたから)をたずさえて、鳥海山(秋田と山形の境にある山)に天の磐船に乗って降臨した。
それから、唐松岳(唐松神社の近くの山)の頂上に日の宮をつくり『十種の瑞宝』を奉った。
その後ニギハヤヒは畿内へ行き、神武天皇の東征に協力したとされる。
『先代旧事本紀』のニギハヤヒの畿内への天孫降譚が、物部守屋の息子・物部那加世(もののべのなかよ)が3歳の時に秋田へ逃れて社殿を修復した。という伝承とリンクしています。
先代旧事本紀とは・・・
平安期に編纂されたとされる歴史書。物部氏の系譜や物部氏の実績が多々記されているので編纂者は物部の一族かと思われる。
【唐松神社】は神功皇后が創建
西暦562年、神功皇后の新羅征伐(三韓征伐)の帰りにこの地へ立ち寄り、唐松岳の頂上に『日の宮』を建てた。
身ごもっていた神功皇后が応神天皇を産んだあと、つけていた腹帯を臣下だった物部胆咋(もののべのいくい)がもらいそれを『日の宮』に奉納したことから『腹帯』が御神体となった。
『女一代守神』として縁結び・子授け・安産の守り神として祀られるようになったとのこと。
新羅征伐の偉業をたたえ、『唐松神社』社名の由来は韓・加羅(から)を服(まつ)るという意味で韓服宮(からまつのみや)と呼ばれるようになりました。
なぜか、現在の社殿はかなり低地に建てられています。(神様は人間が住む所より高い神聖な場所に鎮座するもの)
伝承では、秋田藩主の佐竹義処(1680)が唐松岳にあった社殿を通った際に落馬し、怒って窪地に移設したとありますが。
「から」とは、朝鮮半島を韓(から)とも呼べますが、古代の中国の唐(とう)を「から」とした見方もあります。物部氏の元々の信仰が唐を信仰する形に置き換えられた可能性もあります。
現在のご祭神が息長帯姫命=神功皇后ですが、神功皇后が建てた『日の宮』は祖神ということになりますね?
唐松神社にある【十種の神宝】とくさのかんだから?
『先代旧事本紀』に登場する『十種の瑞宝(とくさのみずたから)』とは天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさみずたから)と呼ばれる神宝です。
ニギハヤヒが天降りする際に、天照大神から受け取っている伝説の宝物です。
困ったときには、この宝を持ちゆらゆらとゆらすことで痛みが消え、死人も蘇る
と教えられたそう。
現物は失われてしまった言われていますが、なんと唐松神社には10種の神宝のうち5種も所蔵されているそうです。
※石上神宮にある神剣の布留御魂神がそのものかと推測される場合もある。
- 奥都鏡(おきつかがみ)
- 辺都鏡(へつかがみ)
- 八握の剣(やつかのつるぎ)
- 生玉(いくたま)
- 足玉(たるたま)
石上神宮で行われる鎮魂祭『布瑠の言・ひふみ祓詞』を唱える神事と似ています。(もしくは同じルーツ?)
十種の神宝がそろった状態で、布瑠の言を唱えた時『死者が蘇える』ほどの呪力が発動することでしょう。
「ふるべゆらゆらとふるべ・・・」これぞ、呪術廻戦・伏黒恵の術式の元ネタでしょうね。
天津祝詞 太祝詞(あまつのりとのふとのりと)
不明とされてきた天津祝詞の太祝詞が、なんと物部文書には神代文字(物部文字:アヒルクサ文字)48字で伝承されているそうなのです!
神事で奏上される『大祓詞』の中間の天津祝詞で太祝詞を唱える場面がありますが、肝心の太祝詞が解からないので飛ばして唱えているようです。
以下のように
~天津祝詞の太祝詞を宣れ。・・・・(この部分は数秒置く)かく宣らば、天津神は天の岩戸を~
このように飛ばして?続けてくようです。
物部文書に伝わる祝詞は天照大神からニギハヤヒへ受け継がれ、物部氏しか知らない極秘の呪文なのです。
昔から天津祝詞は中臣氏が唱える役割でした。
しかし物部氏の太祝詞が加えられることによって、『一切の罪や穢れが祓い清められる』パワーが絶大に上がることでしょう。
太祝詞を奏上する役割は、古来から祭事を任されていた物部氏だったのかもしれません。
物部文書に伝わる48文字の神代文字を加えた完成形の天津祝詞が死者を蘇らせる強力な布瑠の言なのではないでしょうか!
唐松神社・天日宮(あまつひのみや)とは
宮司物部氏邸の内にある『天日宮(あまつひのみや)』は、秋田物部氏が天地の神々を祀ったものとされています。
1914年竣工、1932年に庭園が完成。
仏教伝来以前の神社建築様式で造られていて、ご祭神はニギハヤヒミコトです。
異空間に足を踏み入れてしまったような錯覚を覚えるほど、不思議な玉石壁造りの池に囲まれた島の宮となっています。
社殿の裏に祀られているコレは、古代からこの地に信仰されてきた神様ではないでしょうか🙏
唐松神社は、子宝・子授けにとてもご利益があるそうです💖
女一代守神はまさにこの神様のことですね✨
天日宮はすごいパワースポットだ❣
子宝にご利益ぜったいありそう🌸
『天日宮』は物部氏の本来の神を祀っています、ご祭神はニギハヤヒです。
グーグルアースで見るとキレイな同心円になっていて、葺石古墳(ふきいしこふん)に見えなくもない造りをしています。
物部氏の御先祖様のお墓だったりして?!
まとめ
秋田・唐松神社に伝わる『物部文書』によると
- ニギハヤヒが鳥海山(秋田と山形の境にある山)に天の磐船に乗って降臨した
- 唐松岳(唐松神社の近くの山)の頂上に日の宮をつくり『十種の瑞宝』を奉った
- 神功皇后の新羅征伐(三韓征伐)の帰りにこの地へ立ち寄り、唐松岳の頂上に『日の宮』を建てた
- 唐松神社には10種の神宝のうち5種も所蔵されている
- 天津祝詞の太祝詞が神代文字(物部文字:アヒルクサ文字)48字で伝承されている
東北地方は、征夷大将軍という役職があるほど中央政府から何度も討伐の対象となってきました。
個人的に、時の権力者が隠したい何かが東北にはあると読んでいます。
その一つが、ニギハヤヒを祖とする物部氏の存在です。
その長い歴史の中で唐松神社の社殿は低い場所に置かれ、社名が韓から唐に変換?がありながらも一子相伝の秘儀や神宝を守り続けています。
秋田にあるニギハヤヒの降臨地【唐松神社】は物部氏の謎を解く鍵です✨ところで、神功皇后の祖先ってどなたでしたっけ?
唐松神社アクセス
【唐松神社・天日宮】
〒019-2411
秋田県大仙市協和境字下台84
018-892-3002(社務所)
受付時間:要問合せ
※御朱印は未対応でした
駐車場:あり
【参考資料・HP】
・古代物部氏と『先代旧事本紀』の謎 著者:安本美典/勉誠出版
・秋田物部文書 唐松神社の三つの神髄 YouTube:Jundo Ishii
・Wikipedia
ニギハヤヒの妻?と噂される瀬織津姫の正体とは?!
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