岩手県釜石市に鎮座する三陸海岸総鎮守・尾崎神社(おさきじんじゃ)へ参拝してきました。
太平洋沿岸部の釜石市は鉄鉱石が取れる製鉄地であり、『漁業と鉄の町』として栄えおります。
製鉄の町らしく、お社に剣が祀られている神社をよく見かけます。
尾崎神社にも、古代の英雄・ヤマトタケルが東征のしるしとして残した『鉄の剣』がご神体として祀られています。
ヤマトタケルが岩手までやって来ていたとは・・伝承って面白いですね!
釜石・尾崎神社とは
尾崎神社の歴史
当社縁起によると、日本武尊が東征の折の足跡の最北端であり、最終地点が尾崎半島であり、その足跡の標として半島の中程に剣を建ておかれたものを、土地の人々が敬い祀った事が当社の起こりであり、祭神は日本武尊であるとされる。
後に源為朝(鎮西八郎)の三男とされる閉伊頼基が閉伊郡の押領使を任ぜられてより、当社への尊崇の念厚く、1220年(承久2年)の逝去の間際、「我東海の守護神とならむ、亡骸は尾崎の宝剣の傍らに葬れ」との遺言により、時の別当である天授院賢海が、その亡骸を宝剣の傍に葬ったとされ、以来日本武尊と共に頼基も祭神として合祀されている。
宝剣の場所を奥の院、青出し浜の社を奥宮、尾崎白浜の社を本宮に、釜石の社を里宮とし、1719年(享保4年)宗源宣旨を以て大明神号を1799年(寛政11年)朝廷より正一位の位記を賜り、「正一位尾崎大明神」として今日に至っている。
創建時期は不明のようですが、ご神体となったヤマトタケルが岩に突き刺した剣は残っています。
閉伊頼基が尾崎の宝剣のそばに自分のお墓を希望するほど、霊験あらたかな神剣なのでしょうね。(強い厄除けの効果あり?)
こちらが『尾崎神社奥の院』にある宝剣です。
年季を経てる様子ですが雨ざらしでもOKな神宝のようですね。
ちなみに本宮、奥宮、奥の院は尾崎半島にあり、里宮は少し離れた内陸の高台にあります。
尾崎神社・例大祭
毎年10月の第3週金・土・日に開催される『釜石まつり』を神事として行います。
釜石製鉄所山神社と合同で、尾崎神社本宮から里宮へご神体を船で奉還する『曳き舟まつり』がメインで行われるようです。
二つの神社のお神輿や山車、虎舞・神楽を乗せて大漁旗で着飾った船が釜石港内を渡ります。
市内でもお神輿や山車、虎舞・神楽が練り歩き盛大なお祭りとなるようです。
漁港ならではの曳き舟カッコイイですね🚢✨
アクセス
【尾崎神社:里宮】
〒026-0013
岩手県釜石市浜町3-23-27
0193-22-3095(社務所)
0193-22-3099(FAX)
受付時間:不明
駐車場:あり
【尾崎神社:本宮】
〒026-0001
岩手県釜石市平田7-130
受付時間:不明
駐車場:あり
ご祭神・ご利益
ご祭神(本宮・奥宮・奥の院) | 日本武尊、源頼基 |
ご祭神(里宮) | 日本武尊、綿津見神 |
ご利益 | 武芸上達、幸運招福、海上安全、大漁豊穣、厄除け、五穀豊穣 |
参拝レポート(里宮)
奥宮と奥の院の場所へは山や峠を越えなければなりません。
地元の人は船で行くようなので、尾崎半島に行くのは断念し『里宮』の方へ参拝してきました。
沿岸部の神社は津波の被害に遇わないようかなり高台に鎮座しています。
せまい路地を登り、大きい鳥居が見えたのでここら辺に車を停めて行きました。
しかし、社殿がある社務所付近に広い駐車場があったようです。
けっこう階段を登ります。
池や庭があったり、広い敷地の豪邸を散歩しいている気分です。
行ったのが2月でしたので、池ががっちがちに凍り付いています。
温かくなれば季節の彩りで素敵に映えると思います❤
境内社の『正一位稲荷大明神』です。
まだ登ります。
磐座が残っているので大昔も信仰の場所だったのでしょう。
(それとも傷がたくさんあるので、どかし切れなかったのかも)
石造り?素敵な手水舎ですね。
こちらが里宮と呼ばれる尾崎神社社殿です。
お寺のような、神仏習合の雰囲気がしっかりと残っています。
ピーンと胸を張り、誇り高き狛犬です
鎮魂社もありました。
釜石市は製鉄所があったので、東亜大戦争で米軍に艦砲射撃を受けて被害に遇っています。
そして東日本大震災でも、港町が壊滅して多くの犠牲者を出しました。
何度でも立ち上がり活気を取り戻しているのは、『釜石まつり』でこの土地の神様をお祀りする人々の心が1つになるからだと感じています。
七社明神の宝剣、源頼基のお墓です
あ、あの家紋は源氏の笹竜胆ですね!?
授与品(御朱印など)
初穂料・300円
直書きで御朱印を頂きました。
とても感じ良く対応してくださいました⭐
震災から10年以上が経って復興が進んできています。新しい建物が増えて素敵な港町でした。
コメント