青森県五所川原市に鎮座する山王坊日吉神社に行ってきました。
あの神秘的な山王鳥居をSNSで発見してから、何年も気になっていたのです・・・やっと念願叶いました✨
山間の奥まった場所に日吉神社があり、境内地には神社・寺院の遺構がたくさん発見されている宗教遺跡となっています。
そして古来より霊地として、地域住民に畏敬の対象とされてきたそうです。
山王坊・日吉神社とは
この地一帯は『山王坊(さんのうぼう)』と呼ばれいて創建年代は不明のようですが、伝承によると津軽・安東氏の祈願所として一大霊場だったとのこと。
文献史料に関しては山王坊に関する中世の同時代史料はなく、次ぎのように近世以降の古記録がわずかに残るだけです。
五所川原市HPより引用
安永九年(1780)の『福山秘府』(ふくやまひふ)には、嘉吉三年(1443)、南部氏との抗争に敗れた安藤氏に付き従って、山王坊(さんのうぼう)・永善坊(えいぜんぼう)・万願寺實相坊(まんがんじじっそうぼう)が松前へ渡って行ったことが記されており、山王坊を名乗る人物が十三湊にいたことが分かります。
山王信仰のルーツは崇神天皇の時代、賀茂氏が滋賀県の比叡山に農業神・大山咋神(おおやまくいのかみ)を祀って、その後に社が移り日吉大社(ひえたいしゃ)となります。
日吉大社は出雲族の信仰する猿田彦を祀り山王信仰が始まったようです。
修験者が山で修行をする時に持ち込まれた信仰なのか、津軽・安東氏が日吉大社から勧請したのか、安東氏が津軽を支配する以前の古代からあった信仰なのか謎のままです。
ご祭神・ご利益
ご祭神 | 大山咋神(おおやまくいのかみ) |
ご利益 | 農業守護、方除け、 | 厄除け、縁結び、家内安全、夫婦和合、商売繁盛、
大山咋神は日本神話に登場する神様です。
大年神(おおとしがみ)とアメチカルミズヒメとの間に生まれた子で、妻は玉依姫。御子は賀茂別雷神です。ちなみに祖父はスサノオとなっています。
大山咋神は鏑矢や丹塗り矢の化身ともいわれています。
鏑矢(かぶらや)とは…矢の先端に鏑を取り付けたもの、放つと音が響くので鳴鏑とも
丹塗り矢(にぬりや)とは…朱色の矢、または丹塗矢伝説における神婚のこと
大山咋神の咋も杭(くい)と同じ意味ですよねきっと。
参拝レポート
この山王鳥居に魅入られて、津軽までやってきましたよ✨
この苔むして朽ちかけた鳥居の奥に広がる神域感、立ち入るのが恐れ多い気持ちになります。
この笠木の五角柱の所で、山と王の漢字を表しているのです。
鳥居入口の前にお地蔵様がおりました。
顔が白塗りで、着物も着ています!・・・これは『化粧地蔵』といって津軽の民間信仰のようです💡
若くして亡くなった人たちの再生への願いが込められているとのこと。(魂の再生を願って作られた縄文時代の土偶みたいです)
建造物の跡が残っている方には水路(山王坊川)が流れていたので、もしかして平泉の浄土庭園のような豪華絢爛な霊場だった可能性もありますね。
遺物の年代は津軽安藤氏の十三湊が栄えていた時期と重なり、南部氏によって焼き打ちされたと伝承があります。
やはり、『・・・兵どもが夢の跡』感があります。
真っすぐな参道を歩き、見上げるほど高い木々を横目に古い木造り鳥居をくぐっていきます。
緑色の空間で、静まり返ってますが空気が澄んでいて気持ちが良かったです⭐
左側の建物が拝殿でしょうか?賽銭箱のようなのも見当たらず、中をのぞける窓もありませんでした。
拝殿のあたりに山神様が祀られております。
ご神体はこの山全体なのでしょうね🙏
参拝を終えて、山王鳥居を出てすぐ足元に落ちていた看板です・・・。
熊除けの鈴や音楽をかけて行った方が良さそうです💦
山王坊・日吉神社へのアクセス
山王坊日吉神社
〒037-0401
青森県五所川原市相内岩井84
0173-35-2111
(五所川原市社会教育課文化係)
駐車場:あり
例大祭:※9月に抜穂祭あり
御朱印:なし
JR大平駅から車で30分
五所川原北ICから車で40分
軽中里駅からバスで40分
人々の畏敬の思いが今に感じられる、まさに神様の領域という感じでした。
津軽・安東氏の栄華の跡地、十三湖から車で10分ほどです。ぜひお立ち寄りください✨
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